【ソクラテスとは】
「無知の知」はソクラテスが提唱した考え方です。
そくらてすって誰ニャ~??
では、まずソクラテスについてご紹介しますね。
ソクラテスは古代ギリシャの哲学者ですね。
ソクラテスは紀元前469年頃、アテナイ(ギリシアの首都・アテネの古名)にて誕生します。
彫刻家(石材加工者とも)の父・ソフロニスコスと助産士の母・ファイナレテに育てられました。
ソクラテスが40歳になろうとしていた頃、ギリシアの主導権をめぐって
戦争(ペロポネソス戦争)が勃発します。
ソクラテスは兵士として、3度にわたって従軍したことは、彼に関する数少ない確実な
経歴のひとつです。
ペロポネソス同盟に敗れた戦争後のアテナイを支配したのは、新スパルタ派の30人の人物たちであり、
「三十人政権」と呼ばれています。
三十人政権は貴族や富裕層、異なる意見を持つ勢力を粛清、財産を奪うといった
恐怖政治を行いました。
やがて三十人政権と民主政支持勢力との間で内戦が勃発した後、アテナイは民主政へと回帰します。
ソクラテスはこの三十人政権に対しては消極的だったようですが、
その指導者であったクリティアスがソクラテスの弟子であったことは、
アテナイ市民が彼に対し不信感を持つ原因のひとつであったようです。
そしてついにソクラテスが70歳になった頃、「アテナイの国家が信じる神々とは異なる神々を崇め、
若者を堕落させた」といった罪状で告発されてしまうのです。
ソクラテスはアテナイの有力者たちと問答する際、相手の主張から相手が認めないことを
導き出すことによって、相手の主張を論駁していきました。
このようにしたのは、その有力者が知らない事柄を実際に知らないと自覚するように促すためであり、
「有力者のプライドを傷つけてやろう」という悪意があったわけではありません。
しかし、ソクラテスの問答を受けた有力者たちは、おそらくソクラテスによって
公衆の面前で恥をかかされた、と思ったことでしょう。
ただし、有力者が言い負かされているような様子を見た若者たちは次第に
ソクラテスを支持するようになり、ソクラテスのするように有力者を論駁するような者も
あらわれたようです。
罪状の中の「若者を堕落させる」とは、このことを指しています。
【最後は自ら毒を飲んで】
『ソクラテスの弁明』によれば、ソクラテスは裁判の場で罪状を否認するも、
陪審員たちを説得することはできませんでした。
そして、有罪が決まり、量刑が審査されるとき、ソクラテスは普通の被告人たちがしていたように
陪審員に命乞いをせずに、アテナイにまで行ってきたことへの見返りとして、
迎賓館での食事を「求刑」しました。
しかし、その態度が陪審員たちの怒りを買い、最終的に死刑の審判が下されます。
その後、牢獄に捕らえられたソクラテスは、友人であるクリトンによって
アテナイからの逃亡を提案されるも、その提案をソクラテスは拒否して、
最終的にソクラテスは潔く自ら毒を飲み、死を迎えたと言われています。
【「無知の知」の意味とは】
「自分が無知ということを知っている」ことが、「無知の知」の意味です。
つまり、「いかに自分が全く知らないかを自覚せよ」という意味です。
そして、このような謙虚な考え方を持ち続けることが大切であると言うことです。
というのは、知ったような気になったときに、物事に対する追求が終わって、
知的好奇心が衰えてしまうためです。
そうなれば、アイデアや新しいものを拒むようになり、成長が止まって、
真っ先に自分の地位や身の安全を守ろうとします。
おそらく、次のような経験が誰でもあると思います。
・わからないことをわからないと自分が認めることが恥ずかしいと感じた
・他の人より自分の方が多くのことがわかっていると自慢をした
このようなことは、自分の成長を止めてしまうことがあります。
自分が成長するために謙虚に学習しようとする考え方から、
がんじがらめに保身と偏見でなる考え方に変わってしまいます。
しかし、素直に自分の「無知」を認めて、「無知の知」を知ると、心を他の人に開いて、
新しい考え方が受け入れられるようになります。
すると、純粋な好奇心が生まれて、自分が健やかに成長していきますよね。
【「無知の知」が生まれた背景とは】
当時のギリシア人には、問題に直面した際にアテナイ北西のデルフォイ(デルフィ)にある
“神託所”へ出かける習慣がありました。
ある日、ソクラテスの友人であるカイレポンが神託所で
「ソクラテスよりも賢い者はいるのでしょうか」と尋ねたところ、
巫女は「いかなるものもソクラテスより賢くはない」と答えました。
自分自身をそのように見なしたことはなかったソクラテスは神託の真意をたしかめようと、
政治家、詩人、職人など知恵を有していると見なされている人々を訪ね歩き、
問答を通じて自分よりも賢い者を見つけ出そうとしました。
しかし、その結果、ソクラテスは、ある事実に気がつきます。
それは、
①知識を有しているとされる彼らは、自分自身に知恵があるとは思ってはいても、
実際には知恵があるわけではないこと。
実際は美しく、かつ立派なものを知っていると思い込んでいるに過ぎないこと。
②ソクラテスは自分が知らないことについて「それを知っている」とは思っていない限り、
彼らより知恵があること、でした。
ソクラテスは神託の意味を、知恵に関しては自分にはほとんど価値がないことを自覚した者が
人間たちの中で最も知恵ある者であるということだと解釈します。
これが、ソクラテスの考え方の中でもよく知られている“不知の自覚”です。
このようにして「無知の知」というこの言葉が世の中に広まっていきました。
【「無知の知」の対義語とは】
「厚顔無恥(こうがんむち)」が、「無知の知」の対義語として
謙虚に学習する姿勢という意味でよく使用されます。
「厚顔無恥」の意味としては、恥知らずな様子、図々しい様子ということです。
この「無恥」の意味は、「無知」ということではなく、恥ずかしいことがわからないということです。
例えば、「厚顔無恥」の例文としては、「自分がやると言っておきながら、
成功しないと責任を他の人に押しつけるとは厚顔無恥な人である」
「お金を初めての人に借りるとは厚顔無恥にも限度がある」などがあります。
他の人に対する気配りが足りなくて、自分勝手で恥を恥と感じないような人対して、
「厚顔無恥」は使用されます。
【「無知の知」と同じようなことわざとは】
現在の日本にも、「無知の知」と同じようなことわざが残っています。
それほど耳にしたことがないかもだけれど、ぜひこの機会に把握してみるニャ
では、「無知の知」と同じようなことわざについてご紹介しますね。
【一知半解(いっちはんかい)】
このことわざの意味は、理解が十分にできていなくて
生かじりで少し知っているのみで実際にはよく知らない状況であることです。
「無知の知」と同じような言葉ですが、「無知の知」の意味は知らないことを
自覚することであり、「一知半解」の意味はよく知らないことを表現しているため、
ちょっと違った意味の言葉でしょう。
「一知半解」を使った例文としては、「この業務は一知半解であったが、
上長の業務を参考にしてその場はなんとか凌ぐことができた」などがあります。
【浅学菲才(せんがくひさい)】
このことわざの意味は、学問についての知識が未熟で才能が足りないということです。
自分を謙遜するときに主として使われるため、「無知の知」と同じようなことわざでしょう。
「浅学菲才」を使った例文としては、「自分は浅学菲才ですが、
この仕事は責任を持って担当させていただきます」などがあります。
「無知の知」と同じような意味で謙虚な姿勢で頑張ることを表現するため、
ことわざとしては同じようなものでしょう。
【知らざるを知らずと為せ是知るなり】
このことわざは、論語の教えであり、知らないことは正直に知らないと言うことが、
知ることが本当にできるのであり、知らないのに実際に知っているふりをすれば
知識も学問も上達しないということです。
このことわざは、「無知の知」と同じような意味があります。
知ったように知らないことを行動するなという教えは、古くからアジアでもありました。
論語は弟子たちが孔子の教えをまとめたものですが、
孔子とソクラテスはほとんど同じ時期に活躍していたため、
「無知の知」と同じ教えは世界各地で古くからあったことがわかります。
【「無知の知」の英語表現とは】
「I know that I know nothing」が、「無知の知」の英語表現です。
日本語の訳としては、「自分が全く知らないことを自分は知っている」ということに
なります。
このように謙虚に学習する姿勢は、プロのスポーツ選手や一流の職人などが
よく使用しているときが多くあります。
プロのスポーツ選手や一流の職人などが、
「自分の専門分野についてはまだ自分は全く知らない」などと言っているのを
耳にしたことがあるのではないでしょか。
投資をする上でもこのような謙虚さが大切なのかもしれませんね。
今回は「無知の知」について書いてみました。
知らない事はそのままにせずに、しっかり調べて身につけましょうだニャ
そうなんです、それを伝えたかったんです。
姫君には伝わったようで良かった!
最後まで読んでいただきまして、ありがとうございますニャ
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